土曜日に、公訴時効に関する議論の流れを紹介しました。本日は今後どのように議論を進めるべきか考えてみます。
公訴時効は必要か?
公訴時効という制度の趣旨については前回説明し、現在では存在意義がやや怪しくなっているのではないかと述べました。それでも全ての犯罪から時効制度を廃止すると、収集した証拠品をどこに保管しておくのかや限られた数の捜査官をどの事件に配置するのかなどの問題が生じてしまいます。したがって、公訴時効の制度を廃止してしまうことは現実的ではありません。
一方、殺人事件については人の命を故意に奪った以上、一生をかけてその罪を償っていくべきだと思います。道徳的な責任と国家の科す刑罰は別物なので、殺人事件といえども時効は必要だという意見もあるでしょう。しかし、道徳的な責任と法律的な責任をまったく分けて考えることは、法律への人々の信頼を失うことにつながります。そうすると、過半数の国民が殺人事件の時効が短いと感じている以上、時効制度の見直しは必要です。
どの案を採用すべきか?
問題は、要綱案をベースに考えるか、修正案をベースに考えるか、それともまったく異なる第三案を検討するかです。
まず、修正案については国民の賛同を得るのは難しいと思います。犯罪自体が時効が完成した後に分かった場合、公訴時効を中断させることができないことになるからです。これでは、逃げ得を許すことになり、時効制度に対する国民の疑問に答えることになりません。この案のメリットは、一定の事件のみ時効を中断することで、捜査員という人的資源も証拠物の保管場所という物的資源も現行通りで済むことにあります。ただし、時効の中断が一部の事件に限られるとしても、時効期間の延長を盛り込んでいるので、ある程度の人的・物的資源の増加は伴うことになります。この案をベースに議論をするのは少々難がありそうです。
次に要綱案については、人を死亡させた事件だけを時効不適用の対象にすると、殺人未遂で重篤な障害を負った場合に対応できないことになります。犯罪により生涯寝たきりの生活を送らねばならぬ被害者もいます。死亡しなかったという基準で事件が時効にかかった場合、被害者の無念はいかばかりでしょう。基準が一律だいう理由だけで、簡単に割り切れる問題ではないと考えます。要綱案を採用するとなると、この問題に議論を尽くし、国民の納得を得る必要があります。
また要綱案では先に指摘したように法定刑に死刑が有るか無いかで時効の適用に差がつくのはおかしいとの議論もあります。ただし、この議論については、そもそも刑法で死刑の有無を定めている以上、時効制度の問題というよりも刑法の問題として捉えた方が適切でしょう。強姦致死罪の時効の時効を廃止するなら法定刑に死刑を加えるという方向で検討する方が、いいように思われます。
さらに、要綱案には憲法の不遡及原則に反するのではとの指摘があることは前回述べました。そもそも憲法が法の不遡及原則を定めたのは、適法だと思って行った行為が後に犯罪とされ罰せられるのを防ぐためです。その趣旨は、刑罰を事前に告知し、行為者の予測可能性を保障することにあります。そうすると、殺人を犯しても25年たてば時効になると思い犯罪に及んだ人の利益を守る必要があるかは多いに疑問です。加えて今回法改正をめざしているのは、刑事裁判の手続きを定めた刑事訴訟法です。手続法を不利益変更しても憲法に反しないとの考え方も十分成り立ちます。千葉法務大臣も憲法との関係については、問題ないと発言しています。
このように考えると、要綱案をベースに議論を深めてゆくのが現時点ではベストの選択ではないかと思います。ポイントは、人の死亡を時効廃止の基準とするか否かということです。今後はこの辺りに留意し、しっかりと議論していきます。
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